同期が部長になっても、特に何も起きない
同期が部長になった。
社内の人事異動メールを見て、知ってる名前を見つけて、「おー、マジか」と思った。おめでとう、と素直に思う自分と、チクッとした何かを感じる自分が、同時に存在する。
40代にもなると、この手のニュースは定期的にやってくる。同期が上に行く。親会社から出向してきた人が、明らかに自分より高い給料で隣のデスクに座っている。国税庁の民間給与実態統計を見ると、40代の平均給与は男性で500万円台後半。でも同じ40代でも役職によって数百万の差がつく。同じような仕事をしていても、出向元の給与テーブルが違うから、もらってる額が違う。そういうのは、なんとなく空気でわかります。
友達の年収が気になる。正直に言えば、めちゃくちゃ気になる時期があった。
20代は「まだこれから」で気にならない。30代は「自分も追いつける」と思える。でも40代になると、差が固定化されてくる。ポジションも、年収も、もう逆転は難しいかもしれないと薄々わかってくる。
その「薄々」が、地味にキツい。
「羨ましい」を分解したら、中身がスカスカだった
ただ、ここ数年で一つ気づいたことがある。
同期の部長を見て「羨ましい」と感じる。でもその羨ましさをよく分解してみると、羨ましいのは年収の部分だけだった。お金以外の羨ましさが、一つも出てこない。
彼らの日常を見ていると、正直、大変そうです。役職が上がれば会議は増える。部下のマネジメントに時間を取られ、上からは数字を詰められ、自分のプレイヤーとしての仕事は夜に回す。何より労働時間が違う。自分と比べて、月に30〜40時間は多く残業してると思います。
年間に換算すると、ざっくり400時間。丸々20日分ぐらい、余計に会社にいる計算になる。

じゃあその20日で自分は何をしてるのかというと、娘と夕飯を食べて、妻と交代で家事をこなして、たまに一人でNetflixを見ながらビールを飲んでいる。彼らがオフィスで資料を作ってる夜9時に、僕は娘の宿題を見てたりする。
代わりにやれと言われたら、全くできない。やる気もない。
そう気づいた時、羨ましさの半分ぐらいがスッと消えた。残ったのは「金額だけ羨ましい」というシンプルな感情だけ。まあ、それはもう慣れた。
残業が普通の状態は、誰かを犠牲にしている
完全に持論だけど、残業は悪だと思っている。特に共働き・子育て中の家庭では。
どちらかが毎日残業するようになると、そのしわ寄せが必ず相手に行く。妻に行くか、子どもに行くか、あるいは両方に。一日二日なら「今日はごめん、あとはよろしく」で済む。でもそれが毎日になった瞬間、もうバランスが崩れる。
残業が「普通」の状態は、結局のところ、家族の誰かを犠牲にしないと成り立たない仕組みです。共働きの場合は特にそう。
娘が生まれる前の自分は、深夜まで仕事して、終電で帰って、「今日も頑張ったな」とか思ってた。あれは頑張ってたんじゃなくて、単に他に守るものがなかっただけだ。今になってわかります。
出世すると、共働きが詰む
仮に自分が出世コースに乗っていたとしたら。たぶん、共働きはやめていたと思う。
実際に共働きで部長をやってる人は、周りにほとんどいないです。いたとしても、パートナー側がかなり柔軟な働き方をしてるか、実家のサポートがフルで入ってるか。夫婦ともにフルタイムでバリバリ、というケースは正直見たことがない。
で、共働きをやめるとどうなるか。妻の収入がなくなる。出世で年収が多少上がっても、世帯の手取りは減る可能性のほうが高い。
本末転倒じゃないか。
トータルで考えたら、今のバランスのほうが理にかなっています。これは負け惜しみじゃない。たぶん。8割ぐらいは。
「頑張ります」と「お先に失礼します」
とはいえ、会社にいる以上、上の人は「もっと上を目指せ」と言ってくる。
これに対する自分のテンプレ回答は、「はい、頑張ります」。頑張ります、と言いつつ、自分の身を犠牲にするアピールは一切しない。残業は極力しない。無理な案件を自分から取りに行かない。うまく言語化できないけど、ちょうどいいラインでずっと泳いでいる感覚だ。
毎日、娘を学童に迎えに行く。これはもう日課になっていて、社内でも「あいつは定時で帰る人」というイメージができあがっていると思います。理解してもらえている、と信じたい。

ただ正直、周りに悪いなって気持ちはある。自分が帰った後に残って仕事してる人がいるわけで。でもこの感情は、どこかで捨てないといけないとも思っている。
そもそも残業が悪なのは、子どもがいるとかいないとか関係ない。独身の人だって残業すべきじゃない。子育て中の人が帰ったしわ寄せが独身の人に行くのは、仕組みとしておかしいです。全員が定時で帰れる世の中になるのが一番だと思っています。仕事がどれだけ追い込まれていても。
この綱渡りがいつまで持つかはわからない。どこかで割り切らないといけない時期が来るかもしれない。転職なのか、別の道なのか。まだ答えは出てないけど、頭の片隅にはずっとあります。
暮らしぶりは、実は負けてない
ここで面白い話がある。
年収では負けてるはずなのに、実際の暮らしぶりで差を感じることは、ほとんどないです。好きなものは買ってるし、家族で旅行にもよく行く。世帯年収で見ればそこまで変わらないのかもしれないし、資産に余裕がある分、自分のほうがいい暮らしをしている可能性すらある。
物を買いまくるような使い方はしていない。でも、資産ができてから変わったことが一つあります。時間を短縮できることにはお金をかけるようになった。部屋の掃除を外注したり、家具の組み立てサービスを頼んだり。年収を上げるためじゃなく、時間を買うためにお金を使う。定時で帰って、限られた夜の時間を有効に使いたいから、そこにお金を回しています。
つまり、年収の数字だけが気になっていて、生活の中身では別に負けてない。このズレに気づいた時は、ちょっと笑えた。あれだけモヤモヤしてたのは、結局ただの数字に対する感情だったのか、と。
年収が多いということは、確かに現金は多く入ってくる。そこは素直に羨ましい。でも、それぐらいだ。ちなみに将来への不安はまだ全然消えてない。5000万あっても不安なものは不安。これはまた別の病気だと思う。
3000万を超えたあたりで、景色が変わった
自分なりに見つけた「年収病」の治療法の話をします。
昔の自分にとって、年収は唯一の評価軸だった。年収が高い=仕事ができる=人生がうまくいっている。シンプルで、残酷で、逃げ場のない方程式。
でも仕事で挫折して投資を始めて、毎月コツコツ積み立てていくうちに、ある変化が起きた。評価軸が一つ増えた。
年収は月々の稼ぎ。資産は積み上げた総量。この二つは全く別の数字だ。年収がそこまで高くなくても、共働きで支出を管理して、淡々と投資信託を積み立てれば、8年で5000万になったりする。自分のケースがまさにそれだった。
はっきり景色が変わったのは、資産が3000万を超えたあたりだった。
もう一人の自分の戦力が増えたような感覚です。自分、妻、資産。この3本柱がそれぞれ稼ぎを運んでくれているイメージが持てるようになった。年収は1本目の柱にすぎない。
そうなると面白いことに、給料以上の金額が毎日変動するようになる。朝4時に証券口座を開くと、同期の部長との年収の差よりも、自分の資産の日々の値動きのほうが大きい。そっちのほうが気になるし、そっちのほうがリアルだ。年収の差なんて、含み益の変動幅に比べたら誤差みたいなものだと気づいてしまう。
年収依存が減ると、同期の昇進ニュースを見ても「へー、すごいね」で済むようになる。チクッとはする。ゼロにはならない。人間だから。でも夜まで引きずることはなくなった。翌朝には忘れてる。
逆に言えば、もし投資を始めていなかったら、今でも年収だけが唯一のスコアボードで、同期の出世を見るたびに自分を責めていたかもしれない。そう考えると、投資の最大のリターンは運用益じゃなくて、精神的な安定だった気がします。
比較の毒は、年収でも資産でも同じ
ちなみに、資産の話は誰にもしていない。
もし誰かに「資産いくら?」と聞かれて比較されたら、それはそれで悔しいと感じると思う。結局、比較そのものが毒なんだ。年収だろうが、資産だろうが、他人の数字と自分の数字を並べた瞬間に、何かが蝕まれる。
だから聞かない。言わない。こうやってブログに書くぐらいが、ちょうどいい距離感だと思っています。

年収は評価軸の一つであって、何かを犠牲にしてまで上げるものじゃない。ただ、給料以外の柱は一つでも多く持っておいたほうがいいです。自分の場合はそれがインデックス投信の積立だった。派手さはゼロ。誰にも自慢できない。でも、評価軸がもう一本あるだけで、40代の「年収病」はだいぶ楽になります。
※この記事は個人の体験に基づく情報提供であり、投資助言ではありません。投資判断はご自身の責任で行ってください。